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核兵器禁止条約の批准は人道問題

 オリンピックが始まりました。
 変異株による感染が拡大するなか、賛否両論ありましたが、始まってみるとやはり良いものですね。
 一年でいちばん暑いこの時季はまた、人類史上初めて原子爆弾が都市に投下された日が、巡ってくるときでもあります。

 私の世代は、物心ついてから大人になるまでずぅ~っと、世界は「東西冷戦」でした。「核兵器による人類滅亡まであと何分」の終末時計の針が、毎年少しづつ進んでいました。

 そんななかでも心ある人々によって、人類社会は核兵器廃絶に向けた国際条約を積み重ねてきました。

 核兵器の不拡散に関する条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons : NPT)
 アメリカ、ロシア(当時はソビエト)、イギリス、フランス、中国の5か国を「核兵器国」とし、それ以外への核兵器の拡散を防止することを目的とする条約です。
「もはや戦後ではない」と宣言して日本が高度経済成長を突っ走り始めた頃の1968年7月1日、この条約は署名開放され、1970年3月5日に発効、日本は1970年2月に署名し、1976年6月に批准しています。

 包括的核実験禁止条約(CTBT:Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty)
 核兵器の開発や改良には核実験が不可欠なところ、従来の部分的核実験禁止条約(PTBT)が禁止対象としていなかった地下核実験を含む、すべての核実験を禁止する条約です。
 しかし現状で、この条約の発効には特定の発効要件国すべての批准が必要とされているところ、アメリカ、インド、パキスタン、など、一部の発効要件国の批准の見通しが立たないため未発効のままになっています。
 日本は1996年9月に署名し、97年7月に国連事務総長に批准書を寄託しました。

 核兵器禁止条約はまさに、この長い長い道のりの末にようやく人類社会が辿り着いた、核兵器廃絶に向けた最初の到達点です。
 そもそも核兵器はなぜ廃絶されなければならないのか?
 それは核エネルギーを兵器として使用することが「非人道的」だからに他なりません。
 これは核兵器禁止条約の前文に明記されています。
「あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮し,したがって,いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に廃絶することが必要である」
「核兵器の壊滅的な結末は,十分に対応することができず,国境を越え,人類の生存,環境, 社会経済開発,世界経済,食糧安全保障並びに現在及び将来の世代の健康に重大な影響を及 ぼし,及び電離放射線の結果によるものを含め女子に対し均衡を失した影響を与える」
「あらゆる核兵器の使用は,武力紛争の際に適用される国際法の諸規則,特に国際人道法の 諸原則及び諸規則に反する」「 あらゆる核兵器の使用は,人道の諸原則及び公共の良心にも反する」

 核兵器禁止条約が核兵器廃絶に向けた最初の到達点として画期的なのは、法的に核兵器を違法と宣言したことに在ります。前文は
「法的拘束力のある核兵器の禁止は,不可逆的な,検証可能なかつ透明性のある核兵器の廃棄を含め,核兵器のない世界を達成し及び維持するための重要な貢献となる」
と言っています。
 核兵器禁止条約は、第1条において、
(a)核兵器その他の核爆発装置(以下「核兵器」という。)の開発、実験、生産、製造、取得、保有又は貯蔵、
(b)核兵器又はその管理の直接的・間接的な移転、
(c)核兵器又はその管理の直接的・間接的な受領、
(d)核兵器の使用又は使用の威嚇、
(e)この条約が禁止する活動に対する援助、奨励又は勧誘、
(f)この条約が禁止する活動に対する援助の求め又は受入れ、
(g)自国の領域又は管轄・管理下にある場所への核兵器の配備、設置又は展開の容認
を禁止しています。
 あらゆる角度からもれなくその全廃を目指しています。

 第4条「核兵器の全廃に向けて」では、核保有国が本条約に参加することを念頭に、定められた期限までに国際機関の検証を受けて核兵器を廃棄する義務を果たし、その全廃に向けたステップを示しています。

 この核兵器禁止条約に、唯一の被爆国である日本は参加していません。
 その理由は、外務省サイト↓で公表されています。
核兵器禁止条約と日本政府の考え
外交青書 2018 | 4 軍縮・不拡散・原子力の平和的利用 | 外務省 (mofa.go.jp)
 抜粋して引用すると
「日本は唯一の戦争被爆国であり、政府は、核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています。一方、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です。
 核軍縮に取り組む上では、この人道と安全保障の二つの観点を考慮することが重要ですが、核兵器禁止条約では、安全保障の観点が踏まえられていません。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危険に晒(さら)すことを容認することになりかねず、日本の安全保障にとっての問題を惹起(じゃっき)します。」

 どうですか?納得できますか?
 要するに、『北朝鮮のような輩がいる事実上無法状態の国際社会では、まだまだ護身用に核兵器のような最強の武器が必要でしょ?』と、私には読めます。
 でも、それを言い出したら事実上の無法状態はいつまでも終わらないと思います。

 武器の保有と携帯が憲法で保障されている米国では、銃乱射事件や誤発砲などの不幸な事件が後を絶ちません。でも、日本には「銃砲刀剣類所持等取締法」があって、殺傷能力のある銃砲や刃渡り5.5センチ以上のナイフを含めた刀剣類の所持が法律で禁止されています。日本では「護身用」であっても包丁やサバイバルナイフを持ち歩くことは「違法」で、警察に捕まります。この法律は、フツーに生活している一般の方々にはあまり知られていませんが、私は、実はこの法律こそ日本社会の安全安心をバッチリ守っているスゴイ法律だと考えています。

 核兵器禁止条約は、昨年10月24日、批准国が発効要件の50に達し、今年1月22日に発効しました。
 今年4月の日経新聞報道によると、締約国の第1回会合が来年1月、オーストリアのウィーンで開催される見通しになったそうです。

 核兵器禁止条約を日本が批准すべきかどうかについて、「政治的問題」と避ける向きもあります。違います。核兵器の禁止は「人道問題」です。思想信条や党派イデオロギーを超えて、唯一の被爆国である日本は批准し、国際社会でリーダーシップをとるべき歴史的責務を負っていると考えます。

 核兵器禁止条約を「政治問題」などという人たちには、1964年東京オリンピック招致の立役者である田畑正治氏の次の言葉を贈りたいと思います。
「米国に阿(おもね)って、原爆に対する憎しみを口にしえない者は、世界平和に背を向けるひきょう者だ!」
 最終聖火ランナーを1945(昭和20)年8月6日に広島で生まれた坂井義則氏にすることに、米国を忖度(そんたく)した委員らが「米国が悪感情を持つのでは」と尻込みしたのに対して、田畑氏はこう一喝しました。NHK大河「いだてん〜東京オリムピック噺〜」にもこの場面がありましたよね。