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最高裁について考えてみた

 先月25日、最高裁判所が大法廷判決で違憲判決を出しました。毎日新聞によると「11例目の法令違憲判断」だそうです。最高裁が「違憲」判断をすることは滅多にありません。
国外に居住していて国内に住所を有しない日本国民(在外国民)が国民審査をできないことは憲法違反、と判断しました。

 ここで少し、最高裁について説明しますね。

 学校で「日本は三審制」と習いましたが、最高裁に事件を持ち込める理由(「上告の理由」といいます)は制限されています。基本的に、憲法解釈の誤りや憲法違反がないと「上告」はできません(民事訴訟法312条)。
 三審制とは言っても、最高裁は一つしかないので、日本中から事件が集中したらパンクしてしまいます。
 過去の最高裁判例に違反する、とか、重大な法令解釈の誤り、などは、「上告受理の申立て」(民事訴訟法318条)として、最高裁が裁量で上告として受け付けるかどうかを決めます。
 次に、最高裁の法廷には、15人の裁判官全員で構成する大法廷、と、5人の裁判官で構成する三つの小法廷、があります。基本は小法廷ですが、憲法判断をする場合や過去の最高裁判例を変更する場合には、大法廷が開かれます。
 この事件は、憲法違反が争われ、最高裁として憲法判断をするので、大法廷で判断されました。

 この事件では在外国民の「国民審査権」が問題になりましたが、1998(平成10)年より前の在外国民には、選挙権の行使すら認められていませんでした。そこで先ず、選挙権について争われ、平成17年9月14日に大法廷判決が憲法違反と判断していました。

 日本人なのに海外在住だと選挙権が行使できないことになっている理由は、
 公職選挙法の選挙人名簿(市町村ごとに作成)に登録される資格が、原則として、①その市町村の区域内に住所を有する②年齢満〇〇(現行は18ですが、以前は20)歳以上の日本国民で③住民票作成日から引き続き三か月以上住民登録されている者、としているからです。

 平成10年の公職選挙法の改正で「在外選挙人名簿」制度が創設されました(公職選挙法「第四章の二」第30条の2以下)。
 しかし、その対象となる選挙は、当分の間、衆議院及び参議院の比例代表選出議員の選挙に限るとされました。
 平成8年、在外日本人選挙権剥奪違法確認事件が提訴され、平成17年9月14日の大法廷判決に至ったわけです。
 この大法廷判決では、平成8年当時、公職選挙法が在外国民の国政選挙投票を全く認めていなかったことは憲法違反、平成17年時点でも、公職選挙法が在外国民の国政選挙投票を比例代表に限定するのは違憲、と判断しました。
 平成18年に公職選挙法が改正され、衆議院小選挙区と参議院選挙区も在外選挙制度の対象になりました。

 選挙権は民主主義社会の根幹ですから、憲法で認められている権利を法律で制限するなんて、おかしいですよね。こんな当たり前のことに、これだけ時間と労力を使って裁判しなければならなかったとは・・、原告の方々には、お疲れ様さま、本当にありがとうございました、って言いたいですね。

 で、本件の「国民審査権」です。

 国民審査については、憲法第79条が第4項で「審査に関する事項は、法律でこれを定める」としていて、「最高裁判所裁判官国民審査法」があります。同法第4条は「衆議院議員の選挙権を有する者は、審査権を有する」と規定し、審査人名簿(同法第8条)は「公職選挙法に規定する選挙人名簿で衆議院議員総選挙について用いられるものを用いる」としています。
 今回の大法廷判決は、主権在民(憲法の前文や第1条)である以上、公務員の選定・罷免権は国民固有の権利(憲法第15条)であって、国民審査権(憲法第79条)もその一環であるとともに、最高裁判所の、一切の法令や処分の憲法適合性を保障すべき終審裁判所(憲法第81条)という重要な地位と権能に鑑み、
『審査権が国民主権の原理に基づき憲法に明記された主権者の権能の一内容である点において選挙権と同様の性質を有する』
『憲法は、選挙権と同様に、国民に対して審査権を行使する機会を平等に保障しているものと解する』と判示しました。
 そして、在外国民の選挙権については、公職選挙法を平成10年、平成18年、と改正しながら、「選挙権と同様の性質」の国民審査権については、まったくなおざりにしてきたことを厳しく指摘しています。
 また、平成19年に制定された「日本国憲法の改正手続に関する法律(国民投票法)」では、制定当初から在外国民に投票権行使を認める「在外投票人名簿」制度が設けられたことも指摘しています。

 ところで、国民審査といっても、「最高裁裁判官の名前を見たって判らないよ」という方も多いのではないでしょうか?
 私でも、その裁判官がどういう判決でどんな立場や意見だったのか、聞かれてもすぐには説明できません。
 まぁ、日本の最高裁は、ニュースで知って、あぁそうなんだ、って思われるくらいの社会的影響力ってことなんでしょうか?
 この間、アメリカの連邦最高裁は、中絶の権利、や、銃規制、で、日本のマスコミにも何度も登場しましたよね。
 アメリカの連邦最高裁判事はジャスティス(直訳すれば「正義」)と呼ばれ、裁判官のなかでも特別な存在ですが、「リベラル派」「保守派」と色分け?がはっきりしていて、世論を二分するような社会問題に対する判断もほぼ予想できるそうです。
 その点、日本は個々の裁判官にそのような「色分け」はほぼ無く、裁判所に持ち込める紛争も具体的な事件性が必要なので、抽象的な法律問題や社会問題が判断の対象になることは少ないと思います。どちらかというと、事案の内容に応じて、日本社会が受け容れ易いかどうかも含めて、ケースバイケースの判断のように思います。
 ただ、ちゃんと見ると、平成17年9月14日の大法廷判決には、裁判官横尾和子,同上田豊三の反対意見があります。その内容は、在外国民の投票制度をどのようにするかは国会の裁量に委ねられているとして、違憲とは言えないと結論しています。
 これに比べて、今回の大法廷判決は、裁判官全員一致の違憲判断でした。


 日本人の裁判嫌いは、良い面も悪い面もあると思っていますが、裁判制度が社会の維持に不可欠である以上、無関心というのは一番よくないと考えます。
 今回の大法廷判決を読んでみて、次の国民審査はもっともっと真面目に考えようと反省しました。