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団体の決定と構成員(会員)の思想信条の自由

 総会シーズンですね。総会では、団体として重要な意思決定がなされ、その方法の多くは多数決ですよね。多数決でどこまで決められるのでしょうか?
 この、団体の決定と構成員(会員)の人権侵害の問題は、古くから憲法上の論点として、論じられてきました。

 議論の発端は、昭和45年の最高裁大法廷判決です。八幡製鉄株式会社の社長二人が会社として自由民主党に350万円の寄附(政治献金)をしたことに対し、同社の株主が、1)このような寄付は、同社定款記載の事業目的の範囲外である、2)反対株主個人や一般国民の参政権を侵犯する公序良俗違反の無効な行為である、として、社長らに対し、忠実義務違反の損害賠償請求を株主代表訴訟として提起しました。
 最高裁は、会社は定款記載の目的の範囲内で権利能力(できること)を持つとしつつ、目的遂行に必要な行為の範囲を広く認めて「会社に・・政治資金の寄附をする能力」を認め、反対株主はじめ一般国民の参政権の侵犯の弊害については「立法政策にまつべきこと」としました。
 この判決には当時から学説の批判も強く、今となっては、昭和高度経済成長期の悪しき社会的風潮に追随する、司法消極主義(政治的問題に司法は口出ししない)の悪い見本になってしまった判例です。

 最近の重要判例としては、平成8年の最高裁(第三小法廷)判決があります。南九州税理士会が、税理士法改正運動のために特別会費5000円を徴収し、その全額を南九州各県の税理士政治連盟(政治資金規正法上の政治団体)に配布する決議を行ったのに対し、同特別会費を納入しなかったために選挙権・被選挙権を停止された会員税理士が、同決議は同会員の思想信条の自由を侵害し、同税理士会の目的範囲外で無効である、と争いました。
 最高裁は、税理士会が税理士法に基づく強制加入団体であること、政治団体への寄附は選挙投票の自由と表裏を為すものであること、を述べ、「公的な性格を有する税理士会が、このような事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできない」として「税理士会の目的の範囲外の行為」と判断しました。

 判例を並べても判りにくいと思うので、少し解説しますね。
 この問題には2つの議論のレベルがあります。ひとつは、団体の権利能力(できること)の範囲内かどうか(範囲内の行為は出来ますが、範囲外ならその行為は出来ません)。二つめは、団体のその行為が構成員(会員)個人の人権侵害になるか、です。上記二つの判例は、これら二つの論点を連関させていますが、厳密にいえば、違うレベルの議論なので、分けて考えるほうが判りやすいと思います。

 先ず、団体の権利能力(できること)の範囲についてです。
 民法は第34条(法人の能力)で「法人は、法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う。」と定めています。会社でも、定款で目的を定めて登記しますよね。
 法人や団体は、人間の脳が作り出した虚構(ユヴァル・ノア・ハラリ)で、社会的実体は在りますが、物理的実体は在りません。社会的実体として認められる根拠は、その結成目的(何のために)です。ゆえに「目的」が重要なのです。これは法人格のない団体であっても同様に考えられます。目的の範囲内の行為であれば社会的実体の行為として認められますが、目的の範囲外であれば(無限定になることもあって)認められません。八幡製鉄株式会社に政治献金能力を認めた最高裁判決も、株式会社は営利目的だから、が根底にあったと思います。営利目的なら何をしてもよいか、はその社会の価値観が決めることですが、最高裁は図らずも当時の社会的価値観が企業献金容認に在ったことを反映し、結果として政治献金の風潮を是認し、その社会的価値観が変わった今となっては、古臭い判例として残ってしまった、というわけです。

 次に、団体の意思決定や行為が構成員(会員)の人権を侵害するか、についてです。
 南九州税理士会事件は、やはり、強制加入団体であることが重要な点です。八幡製鉄政治献金事件で原告の株主は、自身の政治的思想信条の自由や参政権の侵害を中核に据えて争ったわけではありません。これは、上場株式はいつでも市場で売れる、すなわち政治献金するような会社が嫌なら投資資本を回収して株主であることを止めれば良いからです。法律的に言えば、完全に脱退の自由が認められている団体においては、団体の意思決定や行為によって構成員個人の人権が侵害される事態は考えにくいと言えます。ただ実際には、何でも「嫌なら辞めれば」としてしまうと、少数者排除が常態化して団体の維持が難しくなってしまいます。結局、構成員の人権侵害として主張される内容が、少数者の意見として傾聴すべきものかどうか、理があるかどうか、ということにかかってくると思います。

 こうしてみると、組織や団体の民主的意思決定では、多数決で決する前に、十分に議論を尽くすことが重要なことが判ります。
 しかしその議論も、ただ違う意見を言い合うだけでは時間も労力も無駄になります。今、私たちが直面させられているコロナ禍と気候危機、その実際の姿はついこの前まで見えなかったにしても、対策として有効な備えについては、もうずいぶん前から指摘されていました。デジタル化や再エネの普及、などです。10年前、これらの問題についての「多数派」の意見や「主流派」の議論は、どうだったでしょうか? その結末が、今の現実です。
 実のある議論を尽くすためには、きちんと学習することが不可欠です。戦後の公害環境問題と運動の歴史を集大成された宮本憲一先生が「戦後日本公害史論」のなかで、運動の基本は学習活動、という趣旨のことを書いておられました。先行き不透明なまま変化が加速する今、いろんなことをきちんと勉強して、自分が進むべき方向を正しく選択していきたいと思います。