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建設アスベスト最高裁判決

 今月17日、最高裁(第一小法廷)は、建設アスベストによる健康被害について、国と建材メーカーの責任を認める画期的判決を出しました。

 判決文の中で最高裁は、昭和50年当時の建設現場について、こう述べています。
「昭和50年当時の建設現場は、我が国に輸入された石綿の約7割が建設現場で使用され、多量の粉じんを発散する電動工具の普及とあいまって、石綿粉じんにばく露する危険性の高い作業環境にあったということができる。当時、吹付け工や一部のはつり工を除き、大半の労働者は防じんマスクを着用していなかったから、建設作業従事者に、石綿粉じんにばく露することにより石綿関連疾患にり患する広範かつ重大な危険が生じていたというべきである。」

 大阪弁護士会会長声明では「わが国に輸入された約1000万トンのアスベストの7~8割が建材に使用されたため、アスベスト関連疾患による労災認定の約半数が建設作業従事者に集中し、その数はすでに8000名を超えており、現在も毎年500~600名ずつ増え続けている。建設アスベスト被害は、アスベストに晒される様々な被害の中でもまさにわが国の最大のものである。」と述べています。

 最高裁は国に、石綿が健康障害を生ずるおそれのある物として安衛法57条に基づく表示義務の対象となった昭和50年10月1日から、石綿含有(重量1%超)建材を安衛法55条の製造禁止有害物に定める平成16年10月1日の前日までの間、安衛法による規制権限の不行使があったと認め、原告ら建設作業従事者に対する国家賠償責任を認めました。

 権限不行使とされた具体的内容は、建材の表示や現場での掲示の不十分さを放置したこと、呼吸用保護具(防じんマスク)使用を事業者側に義務付けなかったこと、です。当時の通達に示された記載例は「多量に粉じんを吸入すると健康を損なうおそれがあります」とか「必要に応じ防じんマスクを着用してください」というものでしたが、最高裁は、これでは当時の医学的知見に照らしても抽象的、任意的に過ぎ、「不適切かつ不十分」と断じました。かなり具体的に踏み込んだ判断だといえます。

 建設作業従事者としては、いわゆる一人親方に対しても同じ扱いとしました。安衛法の趣旨目的は、人体への危険がある作業場で同様に働く者を区別するものではない、という理由です。

 建材メーカーについては、民法719条の共同不法行為の責任の有無が問題となりました。複数の想定加害者がいる場合の責任問題です。最高裁は、被害者によって特定された加害者(本件の被告)のほかにそれのみで被害者の損害を惹起しうる行為をした者が存在しないことは要件、としつつも、被告メーカーのアスベスト建材が、原告が作業した現場に到達していた事実が認められる場合は、寄与度に応じた責任を負うべきと判断しました。
 そして、その到達の事実については、原告が行った、国交省の石綿建材データベースをもとに、各建材のシェア率と原告被災者の現場や作業に関する供述から、被告メーカー建材の現場への到達と被害への寄与率を算出するという立証方法で認めました。過去の公害健康被害裁判でも、被告の排出物質が原告に到達したことの立証は、常に厚い壁でした。この点も今回の最高裁判決の画期的な点です。
 さらに、建材メーカーには、最初に使用する際のみならず、使用後の作業も想定に入れた警告表示義務があると判断しました。この警告表示義務は、国の規制権限不行使で認めた内容と同じです。

 今回の最高裁判決は、文句なく「画期的」な内容です。しかし、それはまた、その被害の悲惨さの反映ともいえます。国に対する「規制権限の不行使、懈怠」が認められた今までの重要判例は、水俣病に関する平成16年の最高裁判決です。社会の広範囲に、悲惨で深刻な健康被害を生じさせた事態に対しても、司法は「予防」に無力だなぁと複雑な心境です。10年ほど前、スウェーデンの「環境裁判」を弁護士会で調査に行った際、環境問題を専門とする著名な裁判官が、健康被害は社会保障制度で賄われるので損害賠償請求は提起されない、と言っていました。彼我の社会の成熟度の差を痛感させされました。

 この判決を機に、国がアスベスト被災者の救済制度を見直し、新制度の検討も始めたことは、良いことだと思います。我が国は、公害健康被害補償制度の実績もありますから、建設作業従事者のみならず、アスベスト被災者が広く充分に救済、支援されるような制度ができればと思います。

 アスベスト問題は、昭和高度成長の負の遺産です。しかし、過去の問題ではありません。アスベスト建材が施工された建物は現在も数多く残っています。
 そして、企業経営におけるコンプライアンスの問題として、私が今回の最高裁判決で注目するのは、当時の国が示した表示や掲示の内容では不適切不十分だとして、それがそのまま事業者の義務違反とされた点です。判りやすく言うと、お上の言うことさえ守っていれば充分、というわけではないということです。これからのコンプライアンスは、行政の示す基準に加え、経営資源の許す限りで科学的知見の収集に努め、自社の提供する製品やサービスの安全に責任を持たなければならないということです。
 コロナ禍の今、社会が物凄いスピードで変化していくのが判ります。時代が新しくなっても、過去を都合良く消し去ってしまうことはできません。負の遺産にもきちんと向き合い、その原因に学び、解決の方策を練りつつ、よい良い新しい時代を築く、とても難しい時代の転換点に、今、私たちは在るのだと思いました。