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渡邉恒雄氏「反ポピュリズム論」を読んで考える

 昨年の12月19日、渡邉恒雄氏が亡くなられました。
 昔のプロ野球問題の悪役イメージしかなかったのですが、数年前にNHK独占インタビューで語られるのを見て、大いに反省しました。戦後の日本をリードしてこられた立派な方を失ったものだと思います。

 この本が書かれたのは2012年、渡邉氏86歳で、「この本が最後になろう」と書いています。
 執筆の意図について、「大衆迎合政治がどのような弊害をもたらすのかについて、過去半世紀ほどのプロセスを長期的視野でマクロ的に論じるのが狙い」「政治の大衆迎合(ポピュリズム)化する過程でマスコミが利用されて来た経緯を分析、評価し、その使命を再確認しておきたかった」と書いておられます。

 日本の現状が、課題山積の一方で、指針を示すべき政治が混沌としている原因を、ずばり「ポピュリズム、大衆迎合政治の蔓延にある」とし、「政治家に人材が払底していることに他ならない」と指摘しています。
 始まりは、小泉首相の「小泉劇場」、すなわちワンフレーズとテレビ利用、にあり、さらにそれを推し進めたのが民主党政権だった、といいます。

 ポピュリズムの政治家、政党の典型として、橋下徹氏と維新の会が挙げられています。「民主党と自民党に対する不満と失望が、裏返しに橋本氏への期待を高めていることは容易に想像がつく。」

 二大政党が不毛な対立を続け、国民が既成政党に不満と失望を募らせる状況こそ、ポピュリズム政党を台頭させる温床だというのです。これに対する処方箋として「連立」を提言しています。
 「一大ポピュリズム政党が誕生すれば、橋下大旋風の下、民主党も自民党も過半数に届かない事態、つまりポピュリズム政党がキャスティング・ボートを握ることまで現実味を帯びてくる。そうなれば日本の政治は破滅的な状況に陥ってしまう。」とポピュリズムの台頭を危惧し、他方で2007年の福田自民党と小沢民主党との「大連立」工作失敗については、「このとき自民党と民主党が席を並べることができていれば、(中略)財政も健全化に向かって大きく前進していたに違いない。税と社会保障改革のこと以上に残念でならないのは、民主党が政権に就く前に行政経験を積んで統治能力を磨く機会が、永遠に失われてしまったことだった。」と連立工作の真意を説明しています。

 渡邉氏の連立工作については、新聞記者の立場を超えている、など批判やバッシングがありました。しかし、純粋な善意に出た行動であったことは、NHKインタビューでも語られていました。
 私は(立場を異にするはずの2大政党が政権欲しさに「連立」なんて無節操な・・)と単純に考えていましたが、連立=協働、という見方もあるのだと、目からうろこ、でした。

 メディア論ですがその前に、メディアの弊害を増幅させているのが、小選挙区制、と、マニュフェスト選挙、と弾劾しています。

 小選挙区制の弊害とは次のとおり。
「3~5人区中心の中選挙区では、有権者の15%から20%程度を支持者につかめば当選したので、候補者は本年の政策や理念を語ることが今よりもずっと容易だった。ところが小選挙区では、対抗候補より10票、100票でも多くとるため本音を隠し、八方美人の迎合政策を弁じねばならないから、候補者は信念も理想も捨ててしまう。小選挙区が政治家の質を決定的に衰弱させたのは間違いない。」

 マニュフェスト選挙については、政治学者の唱道に、菅直人民主党が応えたものでした。
 しかしその実態は次のとおり、机上の空論に終わり、莫大なツケが残りました。
「行政経験も統治能力もない彼らは、次々と実行不可能な「数値目標」や「達成時期」、「財源的な裏付け」を公約に盛り込んでいく。」
「民主党政権が最初に編成した2010年度予算は、税収約37兆円に対して、新規国債の発行額は約44兆円。国債発行額が税収を上回ったのは、敗戦から4か月後に編成した昭和21(1946)年度予算以来のこと(だった)」

 いよいよメディア論ですが、テレビの弊害について、米国テレビ界の著名人クロンカイト氏の著書からの引用は示唆に富みます。
「確かに、不幸にも新聞を読めない人や読む気にならない人にとって、テレビは世界に対する理解度の水準を底上げするものだろう。しかしそれ以外の人にとって、ややこしい問題をほとんど避けて通るテレビは、求めようとする知識の水準を引き下げるものでしかない。そもそも、テレビニュースの実質的情報量は、唖然とするほど少ない。30分のニュース番組で発せられる単語数は、平均的な新聞一面のせいぜい3分の2でしかない。これでは内外の主要なニュースをカバーすることなど、とうていできない。事実を過度に圧縮し、議論を単純化し、説明を省くというテレビニュースの特質はすべてその時間的制約から来ているのだが、それが多かれ少なかれ、伝えるニュースを歪めている。『クロンカイトの世界』482ページ」

 このテレビの特性について渡邉氏は、「しかし、そのことは多くの政治家に好都合となっている。実質的中身のあることを言わずに済むし、争点に真正面から取り組まず、問題を避けて通ることができるからだ。それに政治家は早くから、テレビ時代に大切なのは言葉よりも映像だということに気付いていた。イメージがすべてなのである。」といいます。

 そして今や、マスメディアもSNSにとって代わられようとしている現代、渡邉氏はその危険性を予言しています。
「テレポリティクスの諸問題は、インターネットが発達した現代社会では、ツイッターのようなネットメディアにおいて、より猛威を振るう可能性を秘めている」「しかもネットの場合、匿名性が高いという特性を悪用して、無責任な言論、他人の名誉に対する毀損行為、流言飛語、猥雑で反社会的な情報の流布がやり放題だ。小泉純一郎首相がテレビを効果的に政治利用したように、ネットメディアを積極的に利用する政治家が出現すれば、例えば情報源をネットにかなり依存している若者層には、大きな影響を及ぼすのではなかろうか。それも欠点を意識して抑制的に使うならまだよいが、最初から悪用する目的で利用する政治家が現れたら・・・・。考えるだけで恐ろしい。」

 執筆されてからすでに10年以上経ちますが、世界も日本も、現状は当時よりさらに悪化していると思います。
 渡邉氏が今また書き直すとしたら、間違いなく、昨年からの「トランプ劇場」のことを書いたでしょう。
 民主主義の英語デモクラシーの語源には、「衆愚政治」の意味もあるということですが、ポピュリズムは、民主主義にとって、癌のような病魔だと思います。
 それは政治の世界だけでなく、民主的に運営すべきあらゆる組織に共通する問題といえます。会社や法人も無縁ではありません。USスチールの買収問題に、それが表れていると思います。

 世の中が複雑になり、情報や専門知識の量が膨大になって、早く、手っ取り早く、ざっくり、かつ、わかりやすく、が、もてはやされ、追及されています。でも、ポピュリズムの病魔を寄せ付けない最良の方策は、じっくり、時間をかけて、コツコツ調べて、ひたすら勉強して、学習して、じっくり深く考える、時間がかかっても自分で責任もって判断する、ことしかないんですよね。
 そういえば最近、新聞を読まなくなったなぁと反省しました。

 最後に、太平洋戦争という苦難を経て、今日に至るまでの日本を築き、支え、リードしてこられた偉大な先人をまたおひとり失ったことを悼み、渡邉恒雄氏のご冥福をお祈りいたします。